浪人して いい人 と いけない人

勉強にまつわる話

先日東京大学の合格発表があり、一人の浪人生から合格の報告がありました。現役時には涙をのんだ彼ですが、1年間の努力の結果、見事合格することができたのです。

一方で、現役時から学力を伸ばすことができず(場合によっては学力が落ちて)志望校に合格できない生徒たちもたくさんいました。

彼らの違いはどこにあるのか、分析してみたいと思います。

状況をシンプルにするために以下の図を書きました。勉強に対して真面目に取り組めた生徒を○で表し、そうでなかった生徒を✖️で表しています。

現役の時に○で浪人して✖️になってしまうケースは非常に稀なので、ここでは、下の赤で囲んだ現役時は勉強に対して不真面目であったが、浪人して真面目に取り組むようになった生徒と、浪人しても現役時と変わらずに勉強に対して不真面目であった生徒の違いに焦点を当てていきたいと思います。

環境は何も与えてくれない

高校は勉強に対する最高の環境が整っています。朝早くから登校し、欠席したり遅刻が続いたりすれば担任の先生から連絡がきます。周りにも大学受験という同じ目標を持った仲間が大勢います。わからない事があれば、全教科の先生が常にいるのですぐに質問にも行く事ができます。先生たちは生徒との付き合いが長い場合が多く、生徒のことをよく分かった上でアドバイスをしたり質問に答えたりする事ができます。

一方で浪人生活はこれまでのように至れり尽くせりではありません。予備校によっては全寮制など、管理に重きを置いているところもありますが、ほとんどの大手予備校は高校より環境が良いとは言えないと思います。唯一優れているのは有名な講師がいることぐらいでしょう。

つまり、環境的に優れている高校時代に勉強に対して不真面目だったものが、環境が変わることだけで勉強に対しての取り組み方が変わる可能性はないでしょう。

変わるのは自分

結局これに尽きます。自分が変わらなければ絶対に成功はありません。これは断言できます。

周りの友達も浪人するし、とりあえず自分も浪人する。とか、親がもっと良い大学に行ったほうがいいから浪人しなさいと言うから浪人する。とか、信念を持たずに他人の意見に流されて浪人してはいけません。絶対に失敗します。

一番最初に例に挙げた生徒は、東大に進学して野球をやりたいという明確な目標があり、浪人生活で勉強をサボりそうになった時はその信念をもとに努力ができたと言っていました。

何が自分を変えるのか

自分が変わらなければ成功はないと断言しましたが、では、何が自分を変えるのか。自分にとっての勉強の意義を見つけるしかないでしょう。

勉強の意義は人それぞれで良いと思います。先ほどから例に出している彼はそのモチベーションは「野球」でした。また別の生徒は大学で遊びたいという、ある種不純な動機で頑張る事ができました。〇〇大学に受かれば将来が安泰である(私はそういったものが存在するとは思いませんが)とか、〇〇大学に対する憧れとか、勉強に対するモチベーションは人それぞれです。ここで、大人の正論を振りかざしても何も意味がありません。客観的に見て正しいか正しくないかは関係なく、一番大事なことは本人が納得して自分で決断をすることです。

勉強の意義を見つけられない人へ

絶対に失敗するから浪人はやめましょう。1年は長いです。若く色々と吸収できるその大事な時期を、やりたくもない受験勉強に時間を費やしても良いことは何もありません。

日本の大学進学率はおよそ55%ほどです。(内閣府のHP)半数近くは大学へ進学していません。我々は幼い頃から個性を大切にと言われ続けてきたのにも関わらず、進学校に通う学生は、その個性を発揮せずにとりあえず大学を目指す場合がほとんどです。

一度、大学受験という狭い世界からではなく、もっと大きな可能性の中から、本当に自分が興味を持っていることにチャレンジしてみるのも良いと思います。

私自身は勉強に意義を見出せず、高校生の頃は受験勉強せず、高校を卒業後はサッカー留学をしました。サッカーでもなかなかうまくいかず、帰国し、その後紆余曲折を経て、個人で小さな塾を経営しました。子どもたちに勉強を教える楽しさを知り、学校の教員に興味を持ち、大学に入り教員の免許を取り、現在は教員として働いています。私のやりたいようにやらせてくれた自分の父と母にはとても感謝しています。

最後にアントニオ猪木さんの引退試合で引用した言葉を贈りたいと思います。

「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

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