自分の子供と他の子供を比べて、自分の子供の悪いところ・劣っているところについ目がいってしまうことはありませんか。
「うちの子は〜ちゃんより、理解力がない」とか、「うちの子は〜くんと違って、勉強をちっともしない」とかいったことです。
進学校の教員をしていると様々な子供たちを見ることになります。成績は優秀で、部活動ではキャプテンを務め、何事にも前向きに取り組むような、まさに漫画の主人公のような生徒もいます。
このような生徒を間近に見ていて気づいたことは、人と人は比べてはいけないという当たり前の結論でした。
人と比べるなとは分かってはいるものの、ほぼ無意識的に比べてしまうのです。なぜなら比べることで人はものの価値などを理解しているから、もはや本能なのです。
私の場合は幸い、教員という仕事を通して数千人という生徒を間近で見てきました。そこで人と比べることに意味がないということに気づきました。
なぜ比べてはいけないのか、以下で解説していきます。
比べてはいけない理由
上には上がいる
まず、比べてもキリがないからです。例えば、ある子供がクラスの中で比較的賢いとします。成績では40人のクラスで上から5番目だったとしましょう。その子が中学受験をし、目標の中学に見事入る事ができました。その中学校には同じような学力の子たちが集まっていると思うかもしれませんが、実はそうではありません。その中学に第一志望としてぎりぎりの学力で入ってきた子、志望した中学に落ちてしまい、滑り止めとして入学してきた子、レベル的に厳しいとは思ったが、記念受験のような感覚で受けてたまたま合格した子。このように大きく分けると3つのグループがあるのです。最も学力が高いのは滑り止めとして入学した集団です。
そして、この滑り止めとして入学したグループの子たちが目指していた中学を、滑り止めとして合格した子たちも存在するのです。これは滑り止めとして受けない中学、つまりは入学するのに最も難しい中学まで続くのです。
さらに、最難関の中学の中でも学力の高い集団と、そうでない集団に分かれます。上には上がいるのです。もし、この人と比べる競争をし続けるのであれば、自分の上に誰もいなくなった時、つまり世界一に辿り着いた時初めて、安心する事ができるのかもしれません。
しかし、これではあまりに不毛ですし、現実的ではありません。
比較すると優劣に分かれる
AとBという2つのものを比べた場合次の3通りになります。
A>B A<B A=B
全く同じA=Bのパターン以外では、一方が優れていて、もう一方が劣っているという結論になります。優れているものと、劣っているものにほとんどの場合は分かれてしまうのです。上で説明したように、優れているものも、比較を繰り返すと最終的には世界一優れている1つを除くと全て劣っているものになってしまいます。
つまり、ほとんどは何かに比べ劣っているのです。この不毛な比較競争の結末はほぼ全ての人が何かより劣っているということを突きつけられるだけです。
劣っていると言われて、普通は良い思いはしないでしょう。
ほとんどのことは比較不可能
身長や体重といった客観的なデータは比較可能ですが、賢さ・素直さ・優しさというような、主観的なものは正しく比較することは不可能です。学力は客観的な数値として比較可能なように思う人もいるかもしれませんが、学力をどう定義するかによって変わってしまうので、学力を正確に測ることは不可能です。
例えば、「算数ができる」といったとしても、計算が得意だけど、文章題は苦手というケースも多々あります。計算が得意というのも、計算が早いがミスが多い子もいれば、スピードは遅いが正確な子もいます。やはり、結局は客観的に比較することは不可能なのです。
比較できないのに、テストの点数や成績の良し悪しで比べても意味がないのです。
親の仕事とは
では、親は子供に対して何をすれば良いのでしょうか。それは「子供の良いところを見つける」ことです。少しくらいダメなところは目を瞑って、良いところに目を向けましょう。そうすることで、親も子供もお互い良い影響が生まれます。
悪いところばかりに目がいくと、親も疲れるし、子供も自分はダメなところがたくさんあるんだと信じ込み、自己肯定感が薄れていきます。また、悪いところを指摘されたところでそれが改善するとは限りません。嫌なことは聞きたくないというのが本能なので、聞いたふりをするようになるかもしれません。お互いにストレスが溜まるだけです。
一方で、良いところを見つけることで、親も自分の子供の良いところに気がつき、嬉しくなります。子供も伸び伸びと自分の長所を伸ばす事ができるようになります。
我が家の息子はなぜか戦国武将にはまっています。以前はポケモンの名前を呪文のように繰り返していましたが、最近はさまざまな戦国武将を呪文のように繰り返しています。おそらく、彼にとってはポケモンを覚えるのも戦国武将を覚えるのも同じように好きで覚えているのですが、「戦国武将が好きだ」と大人に伝えると、大抵の大人は感心するのです。それが嬉しくてますます好きになっていっているのだと思います。周りの大人が良いところだと思って接することで、子供は嬉しくなり、ますますその長所を伸ばしていくのです。
良いところを見つけるヒント
物事は常に多面性があります。一面から見るとネガティブに見えるものでも、別の面から見るとポジティブに見えるものです。
以前、知り合いの子供がレンゲを使ってスープを飲むときに、レンゲにスープをため、それを逆さにして手で持つ方を使ってスープを啜って飲んでいました。
それを見た父親は「新しい使い方発見したな!」と声をかけていたのです。行儀が悪いと一喝するのは簡単ですが、一度立ち止まって別の面から物事を見てみると、意外な発見があるかもしれません。
もちろん、時には叱ったりする必要もあるでしょうが、固定観念に捉われて大人の目線で何でもかんでも見てしまうと、子供の可能性を狭めてしまうことになるでしょう。
ぜひ、子供たちの良いところを見つけ、褒めてあげましょう。
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